ありがとうの大切さ
生き方として、「ありがとう」
私は厄介な病を持っていて、思うように生きられない。
例えば、昨年診断された病名は「群発頭痛」
痛み止めは劇薬指定されたスマトリプタンというクスリだ。
群発頭痛
Googleで群発頭痛を調べると、面白いことが分かる。
それは、世の中で最も痛い病ということだ。
目を釘で打たれるような痛みがあり、もだえ苦しむ。
まあ、考えてみればそれくらいは痛む。群発頭痛はとても苦しい。
それでも、ヒトは生きていれば慣れてしまう。
しばらくは「なんともないふり」を演じることも可能だ。しかし、そのような状態は地獄である。
ヒーラーとの出会い
この厄介な病気を治癒してくれた方がいた。
関西在住のヒーラーの方である。
西洋医学の限界を超えて、スピリチュアルな部分から治療を施してくれた。
あまり詳しくは書かないけれど、自分の中では最も辛い病態だった群発頭痛が消えた。
その後に、恩人のヒーラーの方は「痛みのような苦しい出来事に対しても、ありがとう。と、感謝を忘れずにしなさい」と、教えてくれた。
物事には、どういったことであっても意味があり、奇跡なのだと、私は受け止めている。
激しい痛みと曼荼羅
群発頭痛の発作と痛みを感じてしまうと、激しくエネルギーを消費する。
そして気持ちも不安になってしまう。これは大丈夫なのか?と。
そんな日々の中、マンダラを描き続けた。
苦しいけれど生きてるじゃないか。とか、道端の小さな花の美しさ等。
苦しい日々は小さな幸せを気づかせてくれる。
小さな幸せを大胆に描く
どれほど小さくても、幸せなことは美しさを表現するには十分な要素になる。
小さな幸せのおかげで、最初の一筆をすすめることができる。
だから、辛い頭痛であっても「ありがとう」と言えるようになった。
また、ヒーラーの方とは親しく交流させていただいている。