なぜ、タバコはやめれない?禁煙と断食の並行で考える
2020年11月27日金曜日、仕事休みの親父にiQOSを手渡した。
親父は愛煙家である。
「俺はタバコを辞めるから、あげるよ」
禁煙に踏み切るときに、応援してくれるようなヒトに断言して始めることは、極めて有効であると感じる。せめて1人には約束すると良い。
私の場合は少しハードルが高かった。
25歳のときにタバコを辞めて、37歳に、また吸い出した。
当然のごとく離脱症状はひどく、一度やめたからといって「さ、辞めるか」といって禁煙できるものではない。
喫煙期間も2年になり、iQOSで「模範的ニコチン中毒者」となっていた。
今の時代、ニコチン中毒ほど虚しいものもない。
時代遅れのファッションアイテムのようだ。
しかし「手巻きタバコ」といった業界だと、また違う。いわゆるシャグである。
シャグは、iQOSなど手が届かないほどに美味しい。タバコは美味しいのだと感じる。
添加物が全然入っていないのだ。
こういう嗜みも良い。しかし私はかなりニコチン中毒が進んだ。四六時中iQOSを必要としている。
いつでもそうなのだ。タバコに依存しやすい。吸うのを我慢できない。
そして、今、金欠なのだ。
病気休暇で休みということもあるし、ここは25歳のときにニコチン中毒から脱した方法を再び試そうと。
それは、とにかく精神力で我慢する方法だ。ニコチン中毒は3日3週間3ヶ月が、危ないとされている。
3日乗り切れば体内のニコチン量が99%排出されて、後は精神依存のみとなり、かなり楽になる。肉体依存というものは、食事を食べないような欲求との戦いだからだ。
私はマゾなのだろうか?
精神不安定な時期にわざわざタバコをやめるなんて、と喫煙者は思うだろう。
私の場合は、閃いた時期にやる。というものらしい。
今回は断食と平行することにした
深い意味は無いが、前回(25歳)の禁煙と同じでは面白くない。やりごたえがない。という風に、断食が決まった。
断食も非喫煙も3日間を最低のハードルとしている。
よくも思いつきで、やれるものだ。びっくりしている。
3日目の終わりに近づいている
食事は摂れない。タバコは吸えない。水は飲める。
といった。神秘的な3日間を過ごしていて、執筆時は3日目の16時である。
これくらい時間が経つと、タバコの依存はかなり弱い。というか「辞めた。辛かった」と勝利宣言を出せるくらい。
断食は日を追うごとに「飢餓飢餓」してきて、精神的には落ち着くのだが、
お腹が減る。当たり前に。あとボンヤリする。
個人的な感想とすれば「食欲とは真理なり」
食べることをやめれば、普通のヒトは死んでしまう。
禁煙はどうだろう?むしろ体を健康にする。
今回は2つの出来事を発想の描くままに挑戦して体現してみた。
すると、食事を断つという「太い意志」に従うかのように、喫煙も辞められる。
もっとも、現代的ではないかもしれない。
あとがき:やっぱりマゾ
3日目にして、トライしたのは「サウナ風呂」
断食で弱るカラダに、刺激を一発といわんばかりに。
結論としては「サウナはそもそも辛くない」ということか。
爽やかに精神が安定して、毛穴も引き締まった。
コレは良い。
※私が行った断食は、水はOKとしています。