マンダラアート画廊|Masaya_Otani (VI$ӇΠЦ®️) オリジナル曼荼羅(マンダラ)アーティスト「Masaya_Otani」の公式ホームページ。マンダラの持つ対称性を用いて、スピリチュアルとヒーリング、意識を表現しています。カードやシールなど身の回りに置いていただけるアイテムをご用意しておりますので、モチーフの無いアート作品を通して、世界唯一のヴィジョンをお楽しみください。

幼少期から意識障害と生きる

心身の不調
これは現代病?
私は、幼少時から心身の不調がある。 主に意識障害を持つ。

現代でいえば、小学校ではADHDとされて特別支援教育を受けていただろう。 しかし、私は昭和世代である。ゆとり世代にギリギリ入っていない。

だから、学校で騒げば先生から容赦のない体罰を受けた時代だ。同級生からは、からかわれ、理由もなく殴られる。毎日に何度あるか分からない。そのうちにイジメが日常となった。

高校時代
高校へ進学となり、迷わず市外の遠い学校を選んだ。いじめが劣悪化しており、このままでは生きていけないなと感じたからである。

三重県の松阪市の高校へ進むことになった。風土的に不良の多い街である。当時は。いわゆる手が早いヒトの多い地域だ。 そのせいか、いじめに遭うことは一切なかった。私の多様性を受け入れてくれる同級生ばかり

青春とはこれほど明るいものかと、心の底から感じた記憶は懐かしい。

ただ、残念ながら、教師からは非常に嫌われて、イジメといえる処遇をうけた。ADHDの浸透していない教育現場では、落ち着きがない生徒など、煙たくて憎まれる存在だったらしい。

成人になると
子供の成長期とは複雑だなと、19歳の自分は感じていた。ヒトとはかけ離れた性格であったし、良い事より、悪いことばかりだった。

19歳なので、まだ成人ではないけれど、働き出した以上は、昔のことなど忘れ、仕事に没頭するのみである。

失われた青春時代を挽回する。という気構えで、誰よりも働いた。

病態の悪化
子供のころは、やはり、保護されていたのだなと感じる。

働きだしてから、意識障害はますますひどくなり、ADHDは寛解しなかった。通常は大人になると寛解する割合が多い。

であるから、私は成人のADHDである。

ADHD(ADD)チェックシートというものがある。医療機関へかかれば、精神科医から口頭で質問されるわけだ。私は満点が取れるくらいチェックに該当する。

今ではインターネットでチェックできるものだ。しかし、然るべき医療機関で判断を仰ぐ必要がある。自問自答や一般人がチェックシートに沿ってADHDを診断するなど論外だ。

「僕はADHDでは?」といった思惑の入ったチェックは、いわゆる作業に過ぎない。親が子を見る場合も同じである。

ADHDでなければ見れない世界をマンダラアートへ
生まれながら、ずっとADHDである。そうすると、やはり常人とは異なる感覚や角度でものを見たりする。 「ここ、綺麗だよね」「この瞬間はなんて感動的なんだ」「感無量だ」 ヒトはそれぞれ感覚は違う。 僕は感動に対しては、とても広く受け入れられるといった特徴を持つ。かなり深く感動することもある。

そして気づいたのだ。通常のヒトには見えない感動の存在に。試しにその感動を表現してみた。私の場合、マンダラである。 すると、感動が相手に伝わった。なんともいえない発見だった。

見えないものを描く
見えるものや、想像できるものを描くのは、一般的だ。僕はもう年を取ったし、一般的な絵画の世界で競争しようとは思わない。 だから、僕にしか見えないものを描く。世界中を眺めても競争相手はいないし、気楽なものだ。 アートとしてマンダラの記法がとても体に合っている。 しかし、時としてフリーハンドや、ミュージックにしてみたくなったり、いろいろと手を出している。

目標は、Masaya-Otaniのアートの独創性の向上だ。どこまでも惜しみなく努力し、忍耐を重ねる覚悟はできている。

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マンダラアート画廊|Masaya_Otani (VI$ӇΠЦ®️) オリジナル曼荼羅(マンダラ)アーティスト「Masaya_Otani」の公式ホームページ。マンダラの持つ対称性を用いて、スピリチュアルとヒーリング、意識を表現しています。カードやシールなど身の回りに置いていただけるアイテムをご用意しておりますので、モチーフの無いアート作品を通して、世界唯一のヴィジョンをお楽しみください。

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